気づいたら日曜日が終わっていた。気づいたら午前4時を回っていた。気づいたら3月も折り返していた。
このままじゃ、気づいたら今年が終わって、気づいたら老いてしまっているんだろうな。
◆
ブログをおざなりにしないように、また明日からがんばりたい。
ブログ以外も、いろいろとやりたいことがあるので、上手く力を入れられるように。
◆
どうしてこんなに疲れちゃっているのかな、と思う。
疲れるようなことはしていないはずなのに、頭がぼやぼやする。
昨日お酒を飲んだからかもしれないし、食事が偏っているからかもしれない。
それか、睡眠の質が悪いのかも。
こんなに夜更かししちゃってるようじゃだめだね。
◆
YouTubeでVtuberさんのゲーム実況をよく見るのだけれど、自分の好きなRPGの初見プレイを見ると、なんだか優しい気持ちになれる。
それと同時に、初見プレイで楽しそうにゲームしている様子に羨ましさを感じたりもする。
感傷といえば感傷なのだけれど、嫉妬なのかな。
僕にとってRPGは一人でやるものでしかなかったから、Vtuberさんが配信なんかで視聴者とわいわいプレイしている様子は、すごくまぶしいというか、いいなぁって思う。
◆
昔やったゲームを殊更面白いものと思ってしまうノスタルジーがある。
記憶を消してもう一度初見プレイできないかなと思うこともあるけれど、年を経るごとにゲームに対する楽しみ方も変化していっているので、もしそれが叶ったとしても、かつてと同じ楽しみ方はできないだろう。
例えば僕の好きな「クロノトリガー」や「ドラゴンクエスト5」、「FF5」なんかを記憶を消して今初見プレイできたとしても、かつてほどの面白さは感じられないんじゃないかな。
今やそれらのゲームは「古典」みたいなもので、同じような要素を持ったゲームはいくらでもあって、どうしても比較してしまう。当時は新鮮で斬新な作品でも、現在はそうではなくむしろ陳腐でありきたりとすら言えてしまったりする。だから、何も知らないまっさらな状態でゲームをするには、そのゲームの記憶を忘れるだけじゃなくて、今まで生きてきた経験や知識をすべて放り投げるくらいしないといけない。
でも、そんなことはできないし、するべきでもないから、どんなに過去の楽しかった記憶について考えても、感傷に浸る意味しか持たないんだよな。
「あの頃は楽しかった」って、今の楽しさに適応できていない人間のセリフでしかない。
淘汰されてしかるべき。
◆
友達の家に遊びに行って友達がゲームをしているのをひたすら眺めるのが楽しかったように、インターネット上で人がゲームをしているのを眺めるのが楽しい。
ゲーム実況っていうものを知らない人から見たらまだまだ異様な楽しみ方なのかもしれないけれど、現代の新しい文化って感じだよね。
気づいたらいろいろなものが生み出されていて、新しい文化ができていて、ぼやぼやしているとあっという間に取り残されてしまいそうだ。
◆
肉体が老いるのが先か、精神が若さを失うのが先か。
過去にしがみついて生きていかなきゃならないほど、まだ現在に絶望していないつもりだから。
ぼちぼち明日もがんばっていこう。
コメント