「靴は履ければなんでもいいよ」っていう危うさとか

靴を買いました。日曜日で外出せず引きこもりたい欲求もありましたが、僕としては珍しく行動しようという判断が勝りました。本当に珍しい。

靴を物色し何足か試し履きを店員さんにお願いしたのですが、サイズがなくて「26センチ以上ならあるのですが~」みたいに断られてしまうことが多くて残念です。ですが無いものは仕方ないので、サイズがあるスニーカーとブーツを見繕って購入しました。

ところで今日僕が買ったのはスニーカーとブーツで合っているんですかね。スニーカーはゴム底の靴のことを言うらしく、こっそり歩くという意味の「sneak」が語源らしいのですが、だとしたら今回買った靴は二つともゴム底なのでスニーカーなのでしょうか。ブーツという言葉も正直よくわかっていません。長靴を意味しているとか、くるぶし以上を覆う靴だとか、調べてみるとまあなんか色々定義はされているみたいで、今回買ったのはショートブーツってやつなのかなと思うのですが、はてさて。

ファッション好きな人が細かく名前を付けて区別している「違い」を、そうでもない人が似たり寄ったりの同じものとして扱ってしまうのは、ある程度やむを得ないことだとは思います。Twitterなどでよく見かけるこち亀の「全部同じじゃないですか」じゃないですけれど、カテゴライズをどれほど細かく行うかは人によって様々なのですよね。ブーツだけとってみても、丈の長さによって、素材や形状によって、用途によってより細かく分類されるようです。でも、それらを一緒くたにブーツと呼ぶことは間違いではないですし、さらに大雑把に「靴」と呼ぶことも正しい。

こういった「違い」の細かさのことを僕は「認識の解像度」という風に捉えているのですが、僕自身の認識については「解像度が低い」と評価してしまうことが何かと多く、なんとも残念なものです。解像度が低いこと自体は別に悪いこととも思っていませんが、解像度が低いことと、解像度を高めることができないのは全く意味合いが違うので、大雑把にざっくりとしたくくりでしか物事を認識できないことは単純に嘆かわしい。ですがそれは、日々細かい部分に目を向けてこなかった積み重ねというか、解像度を高める訓練をしていなかった結果なのでしょう。筋肉が鍛えられなければ衰えていくように、ぼやっとした認識を続けることで細部を認識しにくくなっていく。

カテゴライズは、分類は、情報処理そのものなのだということを、なんとなく思います。そして情報処理の一番大元にあるのは、勉強とか学習なのかな、とも。精緻な情報処理を行うためには、日々の勉強と学習によって知識を身に着け、物事を判別していく能力を高めていく以外にありません。そして、そうやって意図的に情報の、認識の解像度を上げられるようにしていく。そうすると、どうなるかっていうと、まあボヤっとした認識よりシャキッとした認識のほうが気持ちがいいって話なのかな。きれいな風景を見るみたいに。

まあ、解像度が高いと、きたないものもはっきり見えてしまうというのが瑕ですが、フラットに無感情に生きていくか、山あり谷ありで感情的に生きていくか、どっちがいいかって話かもしれません。まあ、そんな二者択一みたいな簡単な話でもないとも思いますし、解像度高めるにも限界はありますので、アレですね。専門性の話というか、好みの話というか、何にこだわりたいかという話。

こだわりっぽいものを持っているくせにそれを言語化していないと、分類していないと、「靴は履ければなんでもいいよ」とか言いながら実はなんでもはよくないって結果をもたらしかねないので、リスキーです。認識の解像度が高められないと、自分の好きなもの、求めているものすら満足に自覚できないのです。自分の好きなものについて「好きだから好き」と言うのはシンプルで美しさすら感じ得ますが、精緻な認識の放棄ってケースもあるんですよね。そのへんを取り違えてしまうと、欲しいものをどんなに努力して求めたところで本当に欲しいものは手に入らないっていう結末に行きつくわけで、いやはや、いやはやって感じです。

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