殺したくなったら殺してしまうかもしれないブログ

ブログを新設しました。

今まで気まぐれにブログを作っては放置し、気まぐれにブログを作り直しては放置しを繰り返していましたが、今回もその例に漏れず、放置するまですでに秒読みが始まっているブログです。

とはいえ、今までとは違い、サボらないことの大切さ、継続することの大切さを少しは感じている僕です。ともすれば小中学生すら感じているであろう程度ではありますが、学ばない人間などいないのです。学んだというよりかは、数々の失態から悟ったと言ったほうが正確かもしれませんが、それは知らない話です。

更新されないブログになんの価値がありましょうか。いえ、価値についてここで論じるつもりはありません。しかし、更新されないブログは、買ったくせに真っ白なままの手帳のごとく心に影を落とすものです。僕は今まで何度、何度「ほぼ日手帳」を買っては1か月かそこらで放り投げていたかわかりませんが、放り投げてしまったことを思い出す度に、なんとなく嫌な気持ちになるものです。であるならば最初から買わなければいいわけで、始めなければ嫌な気持ちになることもなく平穏な精神を維持できるわけなのですが、しかし、何故か、同じ過ちを繰り返してしまうのです。ばかだから。あほだから。そうやって卑下することは簡単ですが、0か100かで考えてしまう思考の癖がこの場合は問題なのでしょう。

毎日きっちり100点の手帳をつけたりブログを更新したりすることができれば、誰も苦労はありません。人によっては、それを苦労せずにできてしまう人もいるでしょう。苦労さえすればできるという人もいます。ですが、苦労した上でできない人も、苦労することすらできない人もいます。どうしてこんな違いが生まれてしまうかといえば、その人の資質とか性格とかいった本人の能力に起因する部分もありますでしょうが、それ以上に100点を取れるだけのリソースを割けるかどうかが大きいのではないかと思います。

そしてリソースのことを考え出すと、そもそも100点を取ることに価値を見出すことが難しくなってくる場面があるのです。レベル60もあればラスボスを倒せるゲームで、あえて過大な時間をかけてレベル99まで育てることに、価値を見出すことは難しい。予定も計画もない日々の中で、毎日丹念にスケジュールを立てたり、記録したりすることの意味は乏しい。バズりもせずお金も絡まないで、毎日毎日ブログに労力を注いで何になる?

それらはすべて自己満足でしかありません。 単なる拘りで、執着でしかありません。それは時として尊重され敬意を表されるべき成果を生むこともありましょうが、狂気と表裏の関係にあることは念頭に置くべきでしょう。そして今まで生きてきて、100点しか認められないというシチュエーションに、僕は出会ったことがない。30点でも50点でも80点でも、結果的に僕は生き残っている。それが生存バイアスである可能性は排除できませんが、100点でないと淘汰されてしまう状況など、生きていてしんどいだけです。

であれば、なんかもう、よくないですか?

大きな野望、なすべき計画、求める成果がはっきり見えているのなら、いくらでも自分を追い込んでくれて構わないとは思いますが、そうじゃないなら、もはやなんでもよくないですか?

今回僕は久々のブログだからってことでそこそこ長文になるように頑張って書いていますけれども、翌日はTwitterかよと思えるような短いブログをアップロードしているかもしれません。推敲も何もかも放り捨てて、支離滅裂な駄文をポイして惰眠をむさぼっているかもしれません。でも、それでよくないですか? 生きていけるなら。呼吸をサボらないでいられるのなら。生存において呼吸を続けることが最優先事項なのだとしたら、ブログにおいても更新を続けることが最優先事項って考えていればいいじゃないですか。いちいち姿勢を正して鼻呼吸だ腹式呼吸だ考えずとも、吸って吐いてしていれば少なくとも生きていけるんですよ。だらしなくてもつまらなくても一貫してなくても、アップデートさえしていれば死なないんですよ。

そうなると今度はブログの生き死にの是非が問われてくるかもわかりませんが、今まで100点を目指しながら結局10点を取ることすらやめて死んでいったほぼ日手帳やらブログやらを思い出しつつ、生きていればなんかしらいいことあるよ、と思うことで今回は終えておこうかなと思います。いやまあ、ブログは生物ではないので、殺したくなったらまた簡単に殺してしまうかもわかりませんけれど、勝手な都合で生み出しては殺すなんて、人の業の深さを感じざるを得ませんね。あはははは。

しかし、ここまで書いておいてすでに殺すまでの秒読みが始まっているのだとしたら、割と笑い事ではないです。

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