4月のはじまり

2019年も3月が終わり、4月になりました。

新しい元号である「令和」も発表されました。

最寄りの駅前では新しいパン屋さんも新規オープンしました。

色々変わりつつある世の中なので、僕も何かしら変わっていこうかなと少し思ったりします。

今までのこととか、これからのこととか、少しだけ考えてみようかな、と。

適当に、ざっくばらんに。

世の中には素晴らしいものが溢れているって思います。

牛乳パックひとつ手にとってみても、どれほどの技術と時間が注ぎ込まれているのかわかりません。

身近にあるありとあらゆるものは、おおよそ人の営みの上に成り立っています。

そのことが、とても怖い。

多くの人が多くの物事に取り組んでいることを思うと、僕の取り組みはあまりにも少ないと感じてしまいます。

なぜみんな、そんなに頑張れるのでしょう。

そんなふうに暗い話をしてしまいそうになる。

単純に愚痴みたいな話ですが。

「人の○倍働ける仕事術」みたいな文字列を見かけると、僕みたいに人の2分の1とか3分の1とかしか活動できていない人間って少なくないのかもしれない、と少し救われる気持ちになります。

でも、そんなのは救いでもなんでもないのです。

救いなんてないのです。

だって、そもそも救いだ何だと論ずるような内容でもないじゃないですか。

リソースを無駄遣いして、そのことを”本心では”気にも留めていない。問題とも思っていない。

だから、救いなんてなくても、頑張れていなくても、平気で生きている。

自分が「頑張れていない」と感じるとしたら、それはもっと現実的で具体的な話なのだろうと思います。

それを「人の営み」とか「救い」だとか言い出して大げさな話にしてしまうのは、一種の逃避なのでしょうね。

現実的で具体的な問題点を見つけているのに、目を逸らして解決のための試行錯誤を放棄している。

抽象的で大げさな、何か自分ではどうにもならなそうな原因や理由っぽいものを持ってきて、現状を追認しようとしている。

愚かですね。全く。

「現状を追認」ってことばの使い方、合っているかな?

最近見かけたことばなので、なんとなくで使ってしまっています。

まあ、誤用があったらその時はその時で。

気楽に行きましょうや。

気楽に、でも楽ばかりしないで、地に足をつけて、たまに背伸びしてみて、地道に、適当に、自分の人生を。

”今まで”も”これから”も繋がっているってこと、覚えていこう。

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